あの日みた、いつぞやの戯れ

私の名は、だくてん。漢字で書くと、濁点。 とりたてて特徴もない、極々普通のコッチ男子。 余りに特徴もないので、あえてのブログ。あえての与太話。  話が飛ぶのは、自由の証。 さぁ、捕まえてごらんなさい 。* ゚ + 。・゚・。・ヽ(*´∀`)ノ

ヒエラルキー論(カーストの最底辺でもがく俺に、カレー以外の救いはあるか)

一昨年の春。


新宿二丁目の交差点で信号待ちをしていた時、インド系とおぼしき若い夫婦に道を聞かれた。
彼らが指さす日本語のガイドブックには、新宿御苑の文字。
右手前方に指を挿すだけでご要望に応える事ができた。
にこやかな笑顔で俺に感謝してくれたのだが、もしこの俺に早見優並みの英語力があったら、
これから2丁目に行き、世のコッチ系男子の生態を観察しにヴェローチェに行くんだと伝えて、
彼らの笑顔を引き攣らせていた事だろう。
命拾いしたな。
その命、大切にするがよい。


何故か俺は、外国人に声をかけられ易いの。
典型的なアジア顔。
東アジアを旅すれば、必ずといっていい程現地人に間違わられ、
その他の地域を旅すれば、必ずといっていい程シンガポール人に間違われる。

 


数年前。
台湾に向かう飛行機の中で。
日本人女性アテンダントに、中国語でビーフorチキン的な言葉を投げかけられた事がある。
今後どのような立ち振る舞いを、俺は求められるのだろうか。
日台関係の益々の発展を願おう。
台湾人に似た日本人として。


10年程前。
ネパールの空港で。
入国審査を待つ列で、遅々として進まない列にしびれを切らしてついタバコを吸ってしまい、
後ろに並んだ外国人にかなり強めに『エクスキューズミー!』と怒られ、
さらに、『だからシンガポール人って奴は・・・』と小声で悪態をつかれたのを思い出した。
これからはお行儀よくしよう。
シンガポール人に似た日本人として。


そんな俺が、何故ここ日本で外国人に声をかけられるのか。
きっと彼らには、日本人には見つける事の出来ない俺の心の清らかさが見えるに違いない。
さすが、インド人。
もし日本人にそれが見えたなら、俺はもっとモテているハズ。
例え、東アジア過剰気味の顔の持ち主であったとしても。
さぁ、心の目を開いて!
そして、抱いて。

実は、随分前から話が逸れている。
しかも、何層にも重ねて。



コッチ系男子にはインド人もビックリの明確なヒエラルキーが存在する。
輝かんばかりのモテ顔・鍛え上げられた肉体・そして持て余す程の持ち物と豊富な経験。
彼らは2丁目界の『神セブン』として、全身の毛穴からオーラをまき散らし、魅了する。
ヒエラルキーの最下層でもがく俺などは平伏すしかない。
2丁目の道の真ん中は、彼ら神が歩く為の場所。
壁を擦らんばかりに端っこを歩く俺の右肩は、擦り傷だらけだ。
そんな俺の毎夜の夜食は、カレー。
人生はかくも示唆に富んでいる。

 

 

 


よく、
『男ってバカよね。ホント顔しか見てないんだから』という、
大して可愛くない女のグチを聞く。

ある意味、リアル女子の悩みはコッチ系男子の悩みより軽い。
ちょっと服装やメイクに気を遣うだけで、素敵な彼が振り返る。
だが、コッチではそうはいかない。
コッチの世界で、男を振り返らせるには、

思わず勃起してしまうような、セクシーな顔
何年にもわたる鍛練から得られた、逞しい肉体
圧倒的存在感で主張する、股間の膨らみ
さらには、何十人もの男と夜を共にした経験から得られた、テクニック
それら全てを手に入れなければいけないのだから。

リアル女子は、たまにこうのたまう。
『コッチ系男子は女の子の気持ちが分かるから、共感する事が多いの』
正確には違う。
リアル女子が、あまりの衝撃で破水してしまう程の、過酷な環境のなかで恋をしているのだ。
彼女らは、コッチ系男子に共感してはいけない。
尊敬のまなざしを送るべきだ。

こう書くと俺にはこれまでも、そしてこれからも恋やセックスとは無縁の人生を歩んでいるかのようだが、何故かそうではない。
パラドックス論としていつの日かブログで書く日がくるかもしれない。
だが、今はしない。

何故なら、栗の花臭くなるから。