ゾンビに教えてもらった性癖 (『ワールド・ウォーZ』にみる、SMプレイの本当の支配者)
ゾンビ映画に許されたパターンは乏しい。
基本条件として、
①ゾンビは生きている人間を喰いたいという本能的欲求によってのみ行動する
②ゾンビに噛まれたり傷つけられた人間は、一度死に、ゾンビとなる
③ゾンビは脳に損傷を受けると活動を停止する
そうした上で迎えるエンディングは、
①人間側に微かな希望がみえるラスト
②人間側がゾンビもろとも破壊攻撃されるラスト
③人間側が助かったと思いきや、そこにもゾンビがいたラスト
この3種類しかない。
こうした映画製作上の制約に対し、製作者側は観客が許容する範囲内で新しい条件を提示する。
ゾンビを焼いた煙が雨雲となり墓地の死体をゾンビ化したり(『バタリアン』)
死者を蘇らせる呪文を使ってみたり(『死霊のはらわた』)
ゾンビを走らせてみたり(『28日後』『ドーン・オブ・ザ・デッド』)
ゾンビを餓死させてみたり(『28週後』)
製作者側が「条件追加・変更してもいい?」「こんな新作条件をご用意しました」的なお伺いをたて、観客側が「これ、この夏の新作?今風ですね(* ^ー゚) 」とか言いながら評価・堪能するのがゾンビ映画のこれまでの歩みであり、今後もそうあるであろう。
そのうち、製作者側が、
「新作、お客様によくお似合いですよ~ このまま着ていかれます?」
とか言う日も近い。
デパートと併設した映画館あたりでは、もう既に言っているかもしれない。
ゾンビ映画をつくるという行為は、観客が既にもつゾンビ映画の定義・概念に対する製作者の挑戦であり、その挑戦へのアプローチこそが、ゾンビ映画の良し悪しとなる訳です。
これより『ワールド・ウォーZ』に入ります。
やはり前戯が長い。
(今回は多少ネタバレが含まれます。まぁDVDが販売された後ですからね。以降、まだご覧になってない方はご注意くださいませ)
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ゾンビ映画はSMプレイに似てる。
与えられた条件下で、既に決められた数パターンのラストにどう繋げるか。
しかも、観客に新鮮な印象を与えなければならないという難題が付きつけられるゾンビ映画は、縄で縛られて身動き取れない状況下でいかにご主人様のご要望に応えるか、快楽を享受するか、というSMプレイ時におけるM側の創意工夫そのもの。
SMにおける成功のキモは、責めるS側にあるのではない。M側にあるのです。
世のご主人様、貴方がたはその場を支配しているようで、実は支配されている。
私は以前、
「優れたSはMがしてほしい事を察知する事ができる」
と伺った事があります。
とても含蓄のあるお言葉ですね。
貴方(Sのご主人様)のムチの一振り、蝋燭責めの一滴一滴は、全てMに試されているのです。
さて、『ワールド・ウォーZ』では、どんな責めが待っているのか。
Mとしては・・・違う、ゾンビ映画ファンとしては期待に股間が膨らみます。
いえ、胸が膨らみます。
現代は、映像至上主義社会です。
この映画に奥行関係ある?みたいな映画がしれっと3Dであることからも明白です。
であれば、新鮮味と衝撃感あふれる映像で勝負、これが現代のゾンビ映画成功の鍵です。
下の画像は『ドーン・・・』のクライマックス、主人公たちがショッピングモールから脱出する時の様子です。
数で勝負。
私、大変に興奮しました。
Mである事のほかに、複数モノに弱いようです。
で、『ワールド・ウォーZ』がコチラ。
堪りません。
複数乱〇モノに興奮するという私の性癖への疑惑が、確信に変わった瞬間です。
怒涛のように押し寄せる大量のゾンビ(ご主人様の責め苦)に、あらんかぎりの反応で応えます。ありがとうございます!と。
その後、エンディングに向かってガンガンもり下がります。
プレイに満足したご主人様がたが、終電を気にして早めにご帰宅されたからです。
終盤ともなると、ゾンビ(ご主人様)の数は、明らかに少なくなってます。
これが賢者モードってやつでしょうか。
おざなりにムチを振られても、蝋燭責めされても、数で圧倒したあの興奮には到底及びません。
祭りは終わった・・・。
身体にこびりついた大量の蝋を、シャワーで洗い流す時がやってきたようです。
今回、この映画のエンディングに対してのご不満の声をよく耳にします。
ごもっともな反応であると感じます。
ですが、それについてここでは述べません。
ブレますから。責められ好き・複数好きな性癖である、という私の主張と。
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で結局、この映画の良し悪しはどうなのよ?って話になるんですが。
映画自体の良し悪しから遠く離れ、私の思考は『あるべきSMプレイとは』という難題に阻まれ、もう論じる事などできなくなってしまったのです。
【結論】
前半の映像に酔え。
後半は貴方に任せた。