セクシー下着供養(天女の羽衣が行きつく先は神の社)
大人には、死ぬまで一生しらなくていい知識がある。
俺の母ちゃんがブラトップを愛用していた、
だなんて、知りたくなかった・・・。
知ってしまった以上、この現実を素直に受け止めようと、頭では思っているんだけど、心の奥のやらかい場所を今でもまだ締め付けてる。
誰か、この俺を(性的に)優しく慰めて。
セクシー下着で、その気持ちに応えるから。
セクシー下着。
そうね、おそらく。
俺らホモは、ノンケ男子よりもはるかに下着に気を使ってる。
TOOT、propaganda、HOM・・・
その他諸々のお気に入りの下着を身にまとい、剥ぎ取られてる。
剥ぎ取られる心配が全くといっていいほど無用である俺ですら、
propagandaの下着の愛好家であり、普段愛用しているのであるから、
このブログを観た関係者は今すぐに、俺にお礼の品をよこすように。
ステマしたんだから、早く頂戴!
我が家では、毎日洗濯をしてるので、普段は2枚の下着を交互に履いてるの。
すごい、過密ローテーション。
中継ぎ投手が裸足で逃げ出す位、過密なローテーションで下着を酷使していたら、
その過酷さ故に、
人として見過ごすことが出来ない程に破けた。
その予兆は、既に1か月以上前からあったんだけど、
「どうせ、お見せする事もなし」
と、履き続けた俺にも、見過ごせない瑕疵があったと言わざるを得ないんだけどさ、
そのあたりは、割と気づかなかった風を装って、恙なく毎日を無難に乗り切ってた訳。
しかし、だ。
拳が難なく通過する程に破けたその下着を目にして、
その過酷な過去を振り返り、
過酷だけれども、そういや誰かに剥ぎ取られたりはしなかったな、という非モテっぷりをも思い出して、
「なんか、無駄にお疲れ」
と、簡潔に謝意を述べるに留めるのは、余りにもぶしつけじゃないかしら?
何かしらの供養が必要かもしれない。
例えば、針供養のように。
日用品を供養する風習がある事は存じ上げてる。
しかし。
針の場合、「普段固いものばかり刺してるから、柔らかいコンニャクや豆腐に刺して休ませてあげる」っていう、なんとなく理解できるけど完全には納得できねぇよ豆腐の事を想えばよ、という理由づけがある。
目の前の大きく穴があいた己の下着を眺めてみる。
この下着は、普段固いものを包んでは来なかった。
ココでいう「固いもの」が何かは述べない。
述べはしないが、常時「柔らかい」状態であった事を伝えておく。
であれば、この供養に必要なのは、下着に固いものを包ませるという儀式ではなかろうか。
ググってみたら、一応下着を供養する神社があるそうな。
淡嶋神社というらしいが、針も人形も下着も奉納するオールマイティーさが自慢らしい。
なるほどね、髪の毛が伸びる日本人形で有名なトコか。
流石に和歌山まで出向く程この下着を供養する意欲はないし、うっかり髪が伸びた日本人形と目があったりなんだりしたら、普段「柔らかい」俺の何かが一生「柔らかいま」ままになる呪いを受けてしまいそうで、あれから僕たちは何かを信じてこれたかな的な躊躇感がハンパない。
しかも、奉納は女性用下着であり婦人病祈願とされるらしいから、俺の下着は「御免被る」とばかりに拒絶されるかもしれない。
八方塞がりか。
ここにきて最良の方法を思いつき、
それが「ゴミ箱に捨てる」であった事を最後にお伝えして、皆さんご機嫌ようさようなら。